TOMONORI TAKAHASHI

海外でビジネスするには、
その土地を好きにならないと難しいと思うんです。

JINYAを作った理由を教えて下さい

もともと私が小学生の時に炉端陣屋というお店を愛媛の実家で経営していて、そこでの食事が大好きでした。そのお店が無くなってしまった後もすごく美味しいお店という記憶はずっと残りました。
恵比寿の一号店は『砂漠楼』というスタイリッシュなお店で、次に西麻布にオープン、4号店目に、ずっと印象に残っていた『炉ばた陣や』を開きました。値段も手頃で気軽に来れる居酒屋のようなお店、記憶にある実家の炉端陣屋のような、あたたかい店を作りたいと思った事がきっかけです。

海外出店は事はいつ頃から考えていたのでしょうか?

実は一号店のオープンの時に朝礼で『恵比寿で成功させてハリウッドで勝負する』とスタッフに伝え、常にアメリカ出店はインタビューなどでも目標として話していたんです。
4号店目である『炉ばた陣や』を開ける頃、既にロサンゼルスにすごく来たいという思いがありました。
日本での展開が忙しかったので、すぐには実現しなかったのですが、『陣や』のロゴも英語を入れて、将来的にロサンゼルスでも展開出来るように意識しました。これが今から9年くらい前です。

ロサンゼルスへの出店に為に日本で行なった事はありますか?

中目黒に『鶴姫』というお店をオープンした時、内装は”アメリカ人が好きな日本”をイメージして作りました。それが今の3rdのJINYAの内装のような感じです。鶴姫をそのまま持ってきたような。ここにある鬼瓦も地元の愛媛の業者さんに作ってもらいました。
恵比寿の陣屋でも、地元愛媛の食材、瀬戸内海産の魚介類等を積極的に扱いました。
ロサンゼルスに来る時もなるべく愛媛のものを持ってきたいと思って。

何故ロサンゼルスを選ばれたのですか?

単純に好きだったから。(笑)
中学生くらいの頃からロサンゼルスはかっこいいな〜、行きたいな〜と思っていました。
実際来てみると気候はいいし人もフレンドリーだし、期待通りの場所でした。
それからは海外旅行はロスしか行かなかったです。
多分お店を開けるまでに50回以上は来てますね。(笑)

50回!毎回違う所に行くのですか?店舗用にお店を探していたとか?

いつも同じでした。こっち来てレンタカー借りてティワナ行ってサンディエゴ行ってラスベガス行って….。
いつも同じ事をしていたのでお店を開ける直前までトーランスを知りませんでした。こんなに多くの日本人がいるなんて驚きでした。

日本との違い等に色々葛藤もあったとは思いますが、ロサンゼルスでのビジネスは期待通りでしょうか?

大変だった事もあったし、辞めたいと思った事もあったけど、やはり『ここにいたい』という思いが強かったです。海外でビジネスするには、その土地を好きにならないと難しいと思うんです。何となくかっこいいから、とか名刺にロサンゼルス店って書きたいから、という理由だけでは失敗してしまいます。やはりその土地を知らないといけないし、好きでないと深く知れないと思うんです。

現在ロサンゼルス以外にも(全米だけにとどまらず全世界に)展開中ですが、それはどのような思いで展開されているのでしょうか?

JINYAブランドの需要を形成し、アメリカ人に認められるようにするには、やはり日本で何店舗やっているかではなくてアメリカの主要都市にあって、多くの人に実際に来てもらいたいと思っていました。だから他の都市に展開しているのは自然な流れです。
アメリカに来た時点でフランチャイズを考えていました。フランチャイズのシステムを作るのはすごくお金がかかる為、その投資をするのはリスクもあるのですが、これだけ広いアメリカで、直営だけで何店舗も展開していくのは無理だと分かっていたのでフランチャイズ以外は考えられなかった。

はじめからフランチャイズの準備をされていたとは。その頃から炉端やラーメンがアメリカで受け入れられるという自信はありましたか?

炉端は受け入れられると思っていました。ラーメンは正直わかりませんでした。わからなかったので初めのスタジオシティのお店はラーメンとサラダをメインに扱っていて、ラーメンがダメならサラダをメインにしようと思っていたくらいでした。
ラーメンが受け入れられたのは時代が良かったです。とはいえ、やはりアジア人の方々を中心に流行り始めた頃で、まだまだ白人の方々には浸透しておらず、スタジオシティや3rdのお店で豚骨ラーメンを出すのはチャレンジでした。ユダヤ系の方々も多い中で豚をサーブしてもこのエリアでは売れないよ、とも聞いていました。チキンに変えようかとも考えましたが、やはり自分が美味しいと思うものを提供したかったので。

結果的に豚骨ラーメンが受け入れられるまでそれほど時間はかからなかったわけですが、どのように浸透していったのでしょうか?

フードライターのジョナサンゴールド氏がJINYAを気に入ってくれて記事を書いてくれた事がとても大きかったと思います。彼の友達がよくお店に来ていて、彼を連れてきてくれました。お店にとって好転機となりました。

アメリカでの展開を振り返っていかがですか?

大変な事も多くて、いやむしろ大変な事がほとんどで(笑)それでも、3日くらいすると無心になって仕事をしている自分もいて、今はもうミッションだと思ってやっています。日本から従業員のみんなを連れてきている、アメリカで雇っているという責任もありますし。
アメリカで日本の美味しいを広めたい、というミッションは開業当時から実は根本は変わらないんです。
瀬戸内海ブランドを東京で広めたたくて『瀬戸内水軍』や『陣や』を展開していた事の延長線上に、今度は『日本の美味しいを世界に』という思いでやってきました。食材や料理の根本は変えず、その土地の方々が好きそうなアレンジをして楽しんで頂く事が基本です。
今は会社全体が見ている方向も同じで、私としても目標とやる事は明確なので、大変な状況も慣れてきて 仕事はやりやすくなっています。

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